私が見た福島の現実 In Japanese

This is an article about Fukushima.
English version will be coming soon.


命の行進2016 -震災から5年、仙台から福島まで歩いて-

南無妙法蓮華経

東日本大震災から5年、被災地で何がなされ、何がなされていないか、それはそこに住む当事者にしか分からないことだと思う。

今回、仙台市から海岸に出て、津波にあった海岸沿いを、慰霊の想いを込めて歩きました。
私は201315 ’16年に東北を歩くご縁を頂きました。

海岸沿いは瓦礫が取り除かれ更地になっています。永遠と続く荒野のような景色に、歩いている私も気持ちが落ち込みました。それに、海岸沿いを走る道路は少なく、そこをもの凄い数のトラック、工事車両が凄いスピードで走っていくので、歩く私たちは怖いですし、緊張していなくてはいけないので、疲れました。



また、何kmもずーっと続く堤防はこちらから海を見ることができなくなってしまい、海と人間が遮断されてしまった様な、異様な感じを受けました。
ボランティア活動も体を使う片付けなどから今は、日常生活面でのサポートと精神面でのサポートが必要とされています。
相馬市にあるカトリックが運営するカリタスジャパン原町ベースに泊めて頂いた時に伺った話では、ボランティアとしては今、保育園の送迎と南相馬市に最近できた「プラットフォーム」と呼ばれている、寄り合いの場、情報交換の場の運営のサポートをされているという事でした。南相馬市は三区に分かれていて、一番南に在る小高区は原発事故によって事故後20km圏内になるので立ち入りを制限され、人が住めない場所に指定されました。

現在福島県は帰還困難地域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に分かれています。
住民の帰還を目指す政府は小高区の東側の半分の地域を今年の4月からの帰還を目指しています。それに伴って帰還を考える区民の為にプラットフォームの様な場所ができたり、商店ができたりしていました。
そのプラットフォームに行った時の事でした。命の行進のメンバーが運営している女性に放射能の数値の事を詳しく聞いていたとき、その女性が嫌がっているのに気づきました。
そして今度は違うメンバーがまた、放射能の事、オーストラリアのウラン鉱山の事などを話したら、その女性は語気を強めて云いました。「あなた達は放射能の事が知りたくてここに来たんですか?」「あなた達の行進の意図は何ですか?」「そのような事ばかり話すんじゃ勘違いされますよ」と。
私達も無神経に、この場所で放射能の話をし過ぎたことに反省しました。
この土地に戻るつもりでいる人達にとって、特に外の人から放射能の事を色々言われるのには嫌な気持ちになるのだと思います。

原発安全神話という言葉が事故後注目されましたが今、新しい放射能安全神話が国によってのみでなく、世界の原子力業界によって造られています。こぞって福島に介入し、福島原発から排出された放射能はチェルノブイリなどに比べても微量で健康に影響は無いなどの日本政府と結託して公式発表を繰り返す様子は明らかな犯罪行為、棄民政策です。

3月10日、小高区から歩いて浪江町の請戸海岸に慰霊の祈りを捧げに行きました。ここは原発から北に7キロの集落でした。震災後津波に襲われレスキュー隊が入りましたが、原発事故直後避難指示が出され、一切のレスキュー作業が中止されてしまいました。生き埋めのまま、声が聞こえるのに避難しなければなりませんでした。更に後に分かった事ですが、請戸は原発に近いにもかかわらず放射線量は比較的低かったのです。私達が今回行って測った時も0.05~0.2㍃㏜/毎時ほどでした。
この請戸海岸では現在仮設焼却炉が稼働中で8000ベクレル以下のものは一般ゴミとして焼却しています。この様にして煙突からは大量の煙を出しています。この煙の中に放射性物質を含まないと誰が思うでしょうか?




確かに原発事故から5年が経って県内の空間線量は減りましたが、それが生活の安全に直結するのでしょうか。人の住む周辺では除染作業が進んでいるようですが、人の住まない山林地域では未だに高い線量を示すようです。それに保育園ではまだ除染作業がこれからという所もあって恐怖を感じました。この五年間除染せずに子供達をこの環境に置いていたのです。


除染の費用だけで既に1兆円に近い額が投じられているようで、今後もどれだけ掛かるか見通しは経っていない。除染といっても人間が行うもので作業員の被ばくも避けられない。
内部被曝の問題に至っては更に深刻です。国が定めた100ベクレル/kgの食品の基準値は99ベクレル/kgであれば店頭に並ぶという事です。


こんな事もあった。
ちょうど行進の休日にあたった日で福島映画祭が近くでやっていたので行った時の事です。
映画はA2-B-Cという映画で、子供たちの甲状腺検査の事や、汚染された地域で再開される学校の事など、現実に直視したもので、福島に住む母親たちの声もあったりして、ショッキングなものでした。この映画を見終わった後に皆で話す場があって、NPOを立ち上げて除染をしている二人組が国による住宅周辺の除染が進まない中我慢できずに自分達で、せめて子供たちの通学路だけでも除染を始めた事、また各家庭が自分の家の前を除染すれば子供たちを被ばくから守れるのではないか、というような話をしたところ、一人の年配の女性が「いいえ、除染は国か東電がすべきものです。それでは除染をしていない私達が悪いようじゃないですか」と不快感を表しました。
NPOの方達はそういう意味ではなく、国もやらない、行政もやらない、責任は彼らにあるが、子供たちを被ばくから守るという意味では、私達も何かできるんじゃないだろうか。といったような意味だったのだと思いましたが。

この女性にとってその発言は自分が責められているように感じるという事になってしまったのです。放射能、被曝の問題に関して話しづらいというのが現状です。
もう大丈夫だと思っている人が多数なのでしょうが、心の片隅では決して納得しているわけではなく、話しても仕方ない、解決できない、とか。話したら誰かと意見が対立してしまう。国が大丈夫と言っているし、行政や、メディア、学校や病院も放射能の事を問題としてほとんど取り上げない。そんな中、声を上げるのは容易ではない。殊に日本人、東北の人々にとって、耐えること、我慢することが美徳の一つとしてある文化の中で声を上げることはやはり容易な事ではないのであろうか。

また多くの人々は汚染された土地を離れない人たちを見て、理解に苦しむようです。が、その土地で生まれ、その土地から離れた事のない人達が、新しい土地で生きていく事の辛さは、その経験のない若い人達や、土地との繋がりを失ってしまった人達には理解できない事なのでしょう。彼らも土地が汚染されている事など十分承知しているのです。それだけでなく、放射能によって心身の調子が悪くなってしまった人や、亡くなってしまった人がいる事を知っていてもなお、そこに住む事を決めている人が居ることを、深く、深く理解する事が必要なのだと思います。

福島の原発事故が人類にそして母なる地球にもたらした被害はもう取り返しのつかないものなのです。もう無かった事にはできないのです。

私達が犯してしまった大いなる過ちを正面から見つめ、同じ過ちを繰り返さないために生きていかなければ、私達はまた繰り返すでしょう、そして徐々に私達人間はこの地球に住めなくなるように自分達を追い込んでいってしまうでしょう。

福島をはじめ、東北、そして東日本の被ばく地帯で声を上げることができずに苦しんでいる人達がいます。
考えましょう。そして、なにかできることがあればそれを行動に移しましょう。

私は祈り、そして行動に移します。

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