ジム・スリアーノ氏沖縄滞在レポート

2017年3月、アメリカ北東部で行われたアメリカ先住民をサポートする平和行進に沖縄から5名の若者たちが参加しました。
その時の縁で、アメリカの20代の方達が8名沖縄にやって来ました。
彼らは同世代の沖縄の人達と時間を共有し、また辺野古に来る年輩の人達とも交流しました。

そのメンバーの中のジムさんという27歳の男性が沖縄での約二ヶ月に及ぶ滞在の想いを送ってきてくれました。




2017年1月20日金曜日
 私は自分の国アメリカで、大企業主であり、テレビ業界でも名を馳せた人物が大統領になったことで社会に対して、今までよりも強く関心を持つようになりました。新大統領の誕生に危機感を感じ、このままこの国が誤った方向へ向かい続けることを傍観している事ができなくなりました。

以前より友人の紹介でグラフトンお仏舎利塔には何度も訪れていて、安田法尼より平和行進の話等も聞いたりしていました。そして私は2月に仕事を辞めて、平和行進への参加を決めました。
三月に行われた"water walk for life" という、この平和行進はスタンディング・ロックやラマポ・レナペの先住民等が石油のパイプライン建設から水源を守るために闘っていることへの連帯のものでありました。そしてそれだけではなく世界中の仲間たちとの連帯でもあり、そこで私はオキナワから来ている人たちと出会い、米軍基地問題を知るところとなりました。

5月4日、私を含む3人の仲間と沖縄に行き、そして2ヵ月間滞在しました。オキナワの歴史を学び、何故人々は毎日毎日、辺野古のキャンプシュワブのゲート前に座り込みに行くのか理解することができました。そして私たちも座り込みに参加することが出来ました。

連日5時に起床し、8時までには歩くか、または車で辺野古に向かいます。警察に守られた工事トラックがくる前に工事用ゲートに着くためです。私ははじめ警察に対して恐怖心を持っていました。何故ならばアメリカの警察は銃器を持ちフル装備で催涙スプレー等も使用します。しかし、私が見たオキナワの警察はアメリカとは全く異なりました。彼らは私たちを強制的に移動させますが、暴力は思っていたより酷くはありませんでした。警察官たちの中には涙を見せたり、感情的になる人もいました。この状況が毎日、何度も続くことは心身共に大変きつい仕事であると思いました。
私は米軍基地を造るために日本の警察がここまでやることが理解できませんでした。この基地が何のためにあるのか、彼らはどこまで理解してやっているのか考えると私は、この現実は正気の沙汰ではないと感じました。この基地の目的は戦争の永続化の為であるというのに。

ある日、機動隊員の一人が英語で私に話しかけてきました。私は太鼓をたたきつつ隣の男性と腕を組んでいました。機動隊員が"Excuse me"(すみません)"Please get up"(立ち上がってください)と突然英語を話したことに私は驚いてしまいました。私は彼を見て、頭をふり、「大丈夫です。」と答えました。彼は笑い、再度””立ち上がるように“と私に言いました。私が太鼓をたたいていると彼は、それはあなたの太鼓ですか、太鼓に書かれている文字の意味は分かるのか、と聞いてきました。私は、はい、南無妙法蓮華経ですと答え、今度は私が彼に何故私たちがここにいるか分かるか?と尋ねると、”彼は”ありがとう“と答えました。そして私の身体を持ち上げました。

連日辺野古に通いはじめると、若い大人がいないことに気付きました。27歳の私は私が知っている限り最年少でした。時が経つにつれて若者たちの基地問題に対する複雑な心境を知ることになりました。幾つか挙げると、日本の文化的な性格、学校や仕事への影響、警察やメディアや市民のカメラで撮影される、皆顔を隠していること、現地座り込みの行動が激しすぎる、現地での言葉使いが激しすぎる、米軍基地内に友人がいる、無関心、自分の生活で手いっぱい、等など幾つもの来たがらない理由を知りました。

今回仲良くなった若者たちも辺野古の座り込みに来る人はいませんでした。
私達は彼らと辺野古の事や米軍の問題などを話しました。彼らは問題を分かっていても辺野古の座り込みに参加するという意志はないようでした。私が会った若者たちは忙しく、仕事や授業、色んな支払い等に追われていました。その様なストレスの中、空いている時間くらい楽しみたいという想いがあるように感じました。米軍基地の問題はあまりにも大きすぎるのです。
彼らはまだ若く、成長段階にあり、生き方を模索しています。その様な状態にある彼らにはやはり問題が巨大すぎるのだと思います。
年令を重ねれば理解は深まると思います。私たちは人生を模索している彼らを「最近の若者は....と非難すべきではありません。座り込みを続ける皆さんには、若者に対して悲観的にならずに、若い世代に対しては、反応は悪くても、手を差し出し続けて欲しいと思います。決して容易なことではないですが、一人でも意識が変われば、それは世界を変える一歩だと思います。

2ヶ月を振り返ってみますと、多くの人たちの顔が浮かびます。自分の経験から言えることは毎日辺野古のゲート前に行くのは身体にも心にも大きな負担になるということです。沖縄では長年この様な状況が続いているという現実を知りました。

2ヶ月の滞在の最後の2週間、私たちは北から南へと沖縄本島を祈り行進しました。辺野古の連日の行動に疲労していた私たちには良いタイミングでした。
平和行進は人々の為、地球のため、水の為に歩きました。アメリカでもこの様な目的の平和行進が歩かれています。歩くことでこの2ヶ月間をしっかりと振り返ることができました。連日の雨と晴れた日の暑さの中、慰霊の日に向け祈り、歩きました。
私たちはこの2ヵ月間で様々な経験をしました。沖縄の人々から多くを学びました。今後は私は何処へ行こうとも沖縄の話を伝えていきたいとおもいます。アメリカの人々は自国の軍隊が海外で何をしているか、全く知りません。自国の人々のため、沖縄の人々のため、辺野古に、そして沖縄から基地をなくしていく為に努力致します。

ジム・スリアーノ

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