In southern Japan there is an island called Okinawa. Ryukyu is the previous name of this island before the Japanese invaded in the 17th century.

During World War Ⅱ, Okinawa was sacrificed to protect the Japanese mainland. At that time, the majority Okinawans were Japanised in an education system, forcefully taught a loyalty to Japanese Emperor. In 1945 the U.S. brutally invaded Okinawa — the ”Storm of Iron" — and took the lives of 1 out of 4 Okinawan people.

From 1945 to 1972, the island was ruled by the US Military government. Okinawa became a lawless area. In 1972, the island was returned to Japanese hands.

In July, 2014, both the Japanese and US governments started the construction of a new U.S. military base to have a new base in Henoko, although 20% of the island is already occupied by US Bases. Henoko is the site of beautiful Oura bay. The government plans to landfill Oura bay, an area of unusual of marine bio-diversity where endangered species live.

In June, 2015 opinion poll shows that 80% of Okinawan people oppose the construction of the base. In protest, the people have built a permanent community of tents in front of Camp Schwab, a US Marine Corps base, and we are there every day around the clock. Opposition includes the prefectural government of Okinawa and many national and local representatives in Okinawa are our side.

On 13th、October, 2015
A governor of Okinawa revoked a permission of reclamation which was signed by Previous governor.

The dispute over the new U.S.base's construction in Henoko between Tokyo & Okinawa is set to develop into a court battle.

4th March, 2016
the government of Japan and the Okinawa prefectural government reached a settle ment for lawsuits filed over the plan move U.S.Marine Corps Air Station Futenma to Henoko.

At the moment, All constructions in Henoko has stopped.
Until the Japanese Government violently restart again.

11th July 2016
While the Henoko is stop, Japanese government suddenly re-started TAKAE helipads Construction.
More than 500 riot police has been sent from main land.
Beautiful Rain forest's village has become a chaotic situation.

February 2017
Henoko construction has restarted.
Land Fill has also started. the Government plans to complete in 5 years. However, the Protectors at Henoko keep fighting to protect the bay. As well as a Governor of Okinawa and Mayor of Nago city have power to not being complete the construction.
Next year, January and November, there are elections for both mayor and governor. It's going to be a key for Henoko.

The determined people won't give up.

This blog is to spread the message and to tell the story of our non-violent daily action.


2017年10月13日金曜日

U.S. Marine's CH53E Helicopter Burned down at Takae Village.



                                                                                                                  a picture from Okinawa Times

2017年9月8日金曜日

蝶々の亀治郎 ー投稿物語ーby Yuta Nita






とーん、とーん、とん、とん、とーん、
「おや、なんだろうあの音は?」

大きなソテツの、ギザギザとがった葉っぱのうらで眠っていた蝶々の亀治郎が目を覚ましましました。あたりを見まわすと、まだまだ真っ暗でありました。

「ふふん、このきいろい花はなんて甘い匂いがする、おいしい蜜なのかしらムニャムニャ。」
亀治郎の妹、お菊は寝惚けています。それもそのはず、二人ともつい最近まで蛹の中でしたので、お菊に至ってはまだ蛹だった頃の習性が抜けず眠る時間がとても長いのです。

この蝶々の兄妹が住むこの山域は安須森(アシムイ)と言い、ここでは植物がよく育ち、大きな実をつけ何より甘い蜜がとれるので、動物たちのあいだでは黄金山とも呼ばれました。

とん、とん、とん、
乾いた音が山の下から流れて来ます。
「わあ、お兄ちゃん見て。まんまるのお月さまよ。」
ようやく目を覚ましたお菊がにっこり嬉しそうに言いました。
亀治郎が夜空を見上げると、大きな大きな満月が、黄金山を照らしていました。
とーん、とーん、とーん、とーん、
兄妹がお月見をしているあいだにも、不思議な音が暗い森の中から響いてきます。
「お兄ちゃん、この音はいったいなにかしら?」
「うーん、ノグチさんの木を突く音でもないし、クイナさんの鳴き声とも似てないなぁ。」
亀治郎が答えを出せず困っていると、妹のお菊が言いました。
「わたしはなんだか優しい音に聴こえるの。とーん、とーんって、まるでお母さんの子守唄みたい。」
「、、、」
亀治郎はうつむき悲しい顔になりました。
兄妹の母親はまだ二人がイモムシだったころ、黄金山を突如襲った[回転する二つの翼を持つ鳥]に巻き込まれ死んでしまったのです
その鋼鉄の鳥は今だに不定期にこの山域にやって来ます。
とん、とん、とーん、
「お菊や、ぼくはあの音の正体を確認しに行ってくるよ。」
亀治郎はふわりと羽を広げて宙に浮かびました。
「くれぐれも気をつけてね、お兄ちゃん。」
お菊は兄に声をかけ、ふたたび眠りにつきました。

ヒラリ、ヒラリと音に近づいた亀治郎は大きなガジュマルを見つけ、突き出たコブにとまりました。
その立派なガジュマルはこの山の歴史をすべてを見てきた黄金山の長老でした。
そして老木は山の中腹にある御嶽を守るようにして太古の昔から、そこに立っていたので、人々から御神木として祀られておりました
とんとん、とーん、とーん、
音がいよいよ、すぐそこまで来ました。
亀治郎はコブの先に立ち、音の鳴る方へギュっと目を凝らしました
するとなんとも不思議な光景が亀治郎の前に現れてきました。
それは満月に照らされた山道を、若いお坊さんがゆっくりと登っているではありませんか。
月の光を全身に浴び、白衣の上にかけた糞尿衣がまるで黄金色に輝いているように亀治郎には見えました。
丸い団扇太鼓を打ち、その鼓の音にあわせて
「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
ただでさえ人が入るのもめずらしい深く険しい黄金山、それも夜明け前のこの暗闇です。
亀治郎がすっかり驚いていると、
「やあ、蝶々さん。」
もぞもぞと、亀治郎のとまっている地面が動きました。ガジュマルのシワが開き、よく見るとそれはおじいさんの顔になりました。亀治郎のとまったところは年老いたガジュマルの鼻だったのです。
「どうやら、すっかり驚いているようだねえ。」
「うん。ガジュマルのおじいさん。ぼく人間のことはよくわかりません。あの人はこんなところで何をしているのですか?」年老いたこのガジュマルなら何か知っているかもしれない、と亀治郎は訪ねました。
「あのお坊さんはの、平和のために祈り歩くと言うのじゃ。この山から、遥か南にある摩文仁という丘までの。その願掛けのために、この山に登っているのじゃ。」
「この山の頂上には何があるのですか?」
「ふむ、、、今の若いもんのため、すこし昔話をしようかのぉ。」
年老いたガジュマルは静かに語り始めました。
「むかーしむかしの神代の時代、まだこの琉球国は海に浮かぶちいさな、細長いひものような島だったそうじゃ。しかしこの土地には強い力が宿っていてな、是非ここに美しい楽園を作りなさいと、天上の神様がアマミク女神を遣わして作られた島がこの琉球国なのじゃ。そしてこの黄金山はアマミク女神が一番最初に降臨した場所だと伝えられての、神様に感謝を捧げるための御嶽がこの山の頂上に造られたのじゃ。」
「そんなこと、今まで知らなかったなあ。」
亀治郎は素直に言いました。
「今の時代、こういう類いの話は誰も信じなくなってしまった。」
そして年老いたガジュマルが悲しそうに言いました。
「もう、この山もおしまいかもしれん。」
「えっ!?」亀治郎はまたもすっかり驚きました。
「まだ若いおぬしは知らんかもしれんがの、この山の周りには、、、いや、この琉球国ぜんたいにはな、人間が山や海を殺して作った戦争基地がたくさんあるのじゃ。」
ついこのあいだまで蛹の中にいた若い亀治郎には、まだ戦争というものがよくわかりません。「戦争基地ってなんですか?」
亀治郎の問いに年老いたガジュマルは深いため息をつき、一言こう言いました。
「神殺しの道具じゃよ、、、」
「、、、」
亀治郎は宙に浮き、近くの葉っぱに移りました。
「まだそれほど遠くないむかしにの、この琉球国でも戦争が起きたのじゃ。それは言葉にするのもおぞましい、ありったけの地獄を集めたような悲惨なものじゃった、、、
人間は、愚かなものじゃ。山河を壊し、自らを汚しても何も気づかん。
海も風も太陽も、、、わしもお前さんも、そして人間も、[大いなる魂]の一部であるということをのう。」
亀治郎はとても深く大切なことを教わった気がして、気になることを質問しました。
「じゃあこの山もいつか人間に壊されちゃうの?こんなに豊かで、綺麗な川が流れて、美味しい実や蜜をつける花がたくさん咲くこの山が。」
「ふむ、もう何百年もの間この山から下界を眺めておったがの、人間がいる限りこの地球は壊れ続けて最後にはなんもかも燃やし尽くされてしまうと、ワシ考えておった。」
とん、とん、とん、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
「しかしあの人間の鼓の音、お祈りの言葉が、ワシには人間が失ってしまった、[大いなる魂]のように思えてならぬのじゃ。人間もまだまだ捨てたもんじゃないのう。」
年老いたガジュマルは笑顔を取り戻して言いました。
亀治郎のとまった葉っぱの上からお坊さんがよく見えました。どうやら1人ではなく何人かの集団のようです。鷹の羽を掲げる者や、龍の目を模した風車を持つ者、青い瞳の若者や黒い肌の琉球人、そして体の不自由な老人までいました。
「あの者たちは国も言葉もバラバラのはずじゃが、[大いなる魂]で結ばれておる。」
とーん、、、、、。
太鼓の音が止みました。どうやら無事、頂上に着いたようです。
「いろいろ教えてくれてありがとうございました、ガジュマルのおじいさん。」
亀治郎は貴重な出逢いに感謝し、その気持ちを込めて言いました。
「僕は頂上まで行ってみます。」
そう言うと亀治郎はヒラヒラと上を目指して飛び立ちました。

頂上ではあのお坊さんを始め、みんながそれぞれお祈りを捧げていました。あるいは歌い、あるいは淡々と、あるいは先住民族の言葉で、あるいは琉球の言葉で。
しかしそれら全てが生きとし生けるものが持つ[大いなる魂]の祈りであると亀治郎は気がつき、亀治郎もいっしょに平和のお祈りを捧げました。
その時です。眼下に広がる海の下からお天道さまが顔をのぞかせました。
白い雲は茜に染まり、黒い海は黄金に輝やき、世界が光に包まれました。
亀治郎は思いました。
人間全員がこの太陽のように輝かしい[大いなる魂]を取り戻せたら、この地球から差別や戦争がなくなるのだろう。
逆に[大いなる魂]を取り戻すことができなかったら、この地球は破滅を迎えることになるだろう。

朝陽を迎えた黄金山、亀治郎は妹の待つソテツの木に戻りました。
「あ、お兄ちゃん、おかえりなさいっ。」
妹が明るく元気に言いました。
「わたし、あのあとお母さんの夢を見たの。夢の中でね、お母さんがこう言ったの。
『私の身体はなくなったけれども、心はいつもおまえたちと一緒だよ』って」

亀治郎はニッコリ笑いました。


(2017年の沖縄ピースウォークの参加者から送られてきた、短編物語を掲載させて頂きました。)

2017年9月4日月曜日

Jeju, Life & Peace, Grand Peace March 2018 7.31-8.5

Every year, the Grand Peace March offers a chance to foreign people.
Its a great chance to see Jeju, to communicate with people and to feel an island of Jeju.
As a Japanese, Walking & Praying in Jeju is very meaningful. My grand or great grand fathers generation invaded, occupied and exploited South Korea and North Korea. I understand that my travel to Korea means to help a reconciliation between Korea & Japan by walking & Praying.
As we Human kind is facing a critical time today. Environment of mother Earth is crying. Our daily life kills a lot of lives on this earth. The problem is that we dont realize that fact. We human dont have a time to make an arm race. While we are spending so much energy to live this human made systematic world, the Earth, our mother and our home is going to be the place where we cannot live.
My prayer is that lets not be divided by making enemy. All living creatures seek a happiness. When we face the enemy who disturb our aim, lets pray for their happiness. Because their happiness is my happiness.
At the end. I humbly ask you. Please come to Henoko, Okinawa!!
We are fighting to protect a bay from new U.S. military base construction. We need a large   number of people to stop. We must defend them. More than 5300 species including 262 endangered species live in a bay.







2017年8月18日金曜日

ジム・スリアーノ氏沖縄滞在レポート

2017年3月、アメリカ北東部で行われたアメリカ先住民をサポートする平和行進に沖縄から5名の若者たちが参加しました。
その時の縁で、アメリカの20代の方達が8名沖縄にやって来ました。
彼らは同世代の沖縄の人達と時間を共有し、また辺野古に来る年輩の人達とも交流しました。

そのメンバーの中のジムさんという27歳の男性が沖縄での約二ヶ月に及ぶ滞在の想いを送ってきてくれました。




2017年1月20日金曜日
 私は自分の国アメリカで、大企業主であり、テレビ業界でも名を馳せた人物が大統領になったことで社会に対して、今までよりも強く関心を持つようになりました。新大統領の誕生に危機感を感じ、このままこの国が誤った方向へ向かい続けることを傍観している事ができなくなりました。

以前より友人の紹介でグラフトンお仏舎利塔には何度も訪れていて、安田法尼より平和行進の話等も聞いたりしていました。そして私は2月に仕事を辞めて、平和行進への参加を決めました。
三月に行われた"water walk for life" という、この平和行進はスタンディング・ロックやラマポ・レナペの先住民等が石油のパイプライン建設から水源を守るために闘っていることへの連帯のものでありました。そしてそれだけではなく世界中の仲間たちとの連帯でもあり、そこで私はオキナワから来ている人たちと出会い、米軍基地問題を知るところとなりました。

5月4日、私を含む3人の仲間と沖縄に行き、そして2ヵ月間滞在しました。オキナワの歴史を学び、何故人々は毎日毎日、辺野古のキャンプシュワブのゲート前に座り込みに行くのか理解することができました。そして私たちも座り込みに参加することが出来ました。

連日5時に起床し、8時までには歩くか、または車で辺野古に向かいます。警察に守られた工事トラックがくる前に工事用ゲートに着くためです。私ははじめ警察に対して恐怖心を持っていました。何故ならばアメリカの警察は銃器を持ちフル装備で催涙スプレー等も使用します。しかし、私が見たオキナワの警察はアメリカとは全く異なりました。彼らは私たちを強制的に移動させますが、暴力は思っていたより酷くはありませんでした。警察官たちの中には涙を見せたり、感情的になる人もいました。この状況が毎日、何度も続くことは心身共に大変きつい仕事であると思いました。
私は米軍基地を造るために日本の警察がここまでやることが理解できませんでした。この基地が何のためにあるのか、彼らはどこまで理解してやっているのか考えると私は、この現実は正気の沙汰ではないと感じました。この基地の目的は戦争の永続化の為であるというのに。

ある日、機動隊員の一人が英語で私に話しかけてきました。私は太鼓をたたきつつ隣の男性と腕を組んでいました。機動隊員が"Excuse me"(すみません)"Please get up"(立ち上がってください)と突然英語を話したことに私は驚いてしまいました。私は彼を見て、頭をふり、「大丈夫です。」と答えました。彼は笑い、再度””立ち上がるように“と私に言いました。私が太鼓をたたいていると彼は、それはあなたの太鼓ですか、太鼓に書かれている文字の意味は分かるのか、と聞いてきました。私は、はい、南無妙法蓮華経ですと答え、今度は私が彼に何故私たちがここにいるか分かるか?と尋ねると、”彼は”ありがとう“と答えました。そして私の身体を持ち上げました。

連日辺野古に通いはじめると、若い大人がいないことに気付きました。27歳の私は私が知っている限り最年少でした。時が経つにつれて若者たちの基地問題に対する複雑な心境を知ることになりました。幾つか挙げると、日本の文化的な性格、学校や仕事への影響、警察やメディアや市民のカメラで撮影される、皆顔を隠していること、現地座り込みの行動が激しすぎる、現地での言葉使いが激しすぎる、米軍基地内に友人がいる、無関心、自分の生活で手いっぱい、等など幾つもの来たがらない理由を知りました。

今回仲良くなった若者たちも辺野古の座り込みに来る人はいませんでした。
私達は彼らと辺野古の事や米軍の問題などを話しました。彼らは問題を分かっていても辺野古の座り込みに参加するという意志はないようでした。私が会った若者たちは忙しく、仕事や授業、色んな支払い等に追われていました。その様なストレスの中、空いている時間くらい楽しみたいという想いがあるように感じました。米軍基地の問題はあまりにも大きすぎるのです。
彼らはまだ若く、成長段階にあり、生き方を模索しています。その様な状態にある彼らにはやはり問題が巨大すぎるのだと思います。
年令を重ねれば理解は深まると思います。私たちは人生を模索している彼らを「最近の若者は....と非難すべきではありません。座り込みを続ける皆さんには、若者に対して悲観的にならずに、若い世代に対しては、反応は悪くても、手を差し出し続けて欲しいと思います。決して容易なことではないですが、一人でも意識が変われば、それは世界を変える一歩だと思います。

2ヶ月を振り返ってみますと、多くの人たちの顔が浮かびます。自分の経験から言えることは毎日辺野古のゲート前に行くのは身体にも心にも大きな負担になるということです。沖縄では長年この様な状況が続いているという現実を知りました。

2ヶ月の滞在の最後の2週間、私たちは北から南へと沖縄本島を祈り行進しました。辺野古の連日の行動に疲労していた私たちには良いタイミングでした。
平和行進は人々の為、地球のため、水の為に歩きました。アメリカでもこの様な目的の平和行進が歩かれています。歩くことでこの2ヶ月間をしっかりと振り返ることができました。連日の雨と晴れた日の暑さの中、慰霊の日に向け祈り、歩きました。
私たちはこの2ヵ月間で様々な経験をしました。沖縄の人々から多くを学びました。今後は私は何処へ行こうとも沖縄の話を伝えていきたいとおもいます。アメリカの人々は自国の軍隊が海外で何をしているか、全く知りません。自国の人々のため、沖縄の人々のため、辺野古に、そして沖縄から基地をなくしていく為に努力致します。

ジム・スリアーノ

Okinawa Accord

This is an Article written by Jim Suriano. A young American man from N.Y.
He met Okinawan people in U.S. in this March. And heard a strugle aginst U.S. military bases there.
He decided to come to Okinawa with his friends and stayed for 2 month.
It's also his story in Okinawa.

On Friday, January 20th, 2017, I woke up in a nation that elected a corporate property and media executive billionaire to the office of President. I watched the unraveling and breakdown of integrity in the national campaign process, as millions of other Americans witnessed. Everything I understood to be wrong with the United States had been brought to the surface. Many things have gone wrong, and I could not live to just watch injustice unfolding anymore. I had to do something.

I quit my jobs in February to join a Peace Walk, Water Walk for Life. This peace walk was held in solidarity with the Water Protectors of the Standing Rock and Ramapough Lenape nations. Although the situation in the Dakota Access Pipeline Resistance seemed grim at this point, there was still a spirit in the hearts of people that would never give up. This walk for peace also represented the struggles of Indigenous people globally. The spirit that would never give up, I came to learn, was strong in the people of Okinawa. I learned of a serious struggle that oppresses the people and water of Okinawa on this Peace Walk: the Henoko Base Construction.

On May 4th, 2017, I flew with 3 other Peace Walkers to Okinawa to learn more of the Henoko Base Construction and the history of the People of Okinawa. I also came with the idea to support the people in their struggle, staying open to whatever support could mean. As Americans, building our understanding and knowledge of Okinawan History became a very important way to support the people.

To understand the History of Okinawa is to understand why the people go to the gates every day. We visited the Prefectural Peace Memorial Museum in Itoman the first weekend of our journey. The realities of war that this island faced in the past were difficult to hear without tears and sadness. The Battle of Okinawa was full of atrocities. The tremendous pain and loss that people faced as a result of governments and war will never be forgotten. 72 years later, the United States Military and the Japanese Central Government are still contributing to the culture of global warfare, and it is still at the misfortune of the Okinawan people.

Direct action took place every day at the gates of Camp Schwab, U.S. Marine Military base occupying Henoko and the location of the new construction zone. These actions include: gate sit-ins, kayak demonstrations, daily speakers, rally marches, blocking trucks, praying, holding signs, singing songs, and maintaining a camp occupying the roadside across from the base. The group I came to Okinawa with became involved in all of these actions.

Most days began at 5:00 am and we would either walk or drive to the base between 8:00 and 9:00 in the morning. We tried to be there for what we called “Crash Time”, when the riot squad police would swarm the construction gate to move people from their sit-in for the arriving construction trucks to enter. At first, the police seemed scary. I am accustomed to police in the United States, that are significantly more violent and militant. But we came to learn that the police in Okinawa were very different. They did not have guns or batons. The riot squad did not have helmets and pepper spray. They would just move us, which I feel is very purposefully done by the Japanese government. If the police became violent, it would draw more media attention. In a sense, the passiveness of the police was very manipulative and oppressive. The officers, at times, would break down and show tears or lash out in frustration. This was every day, day upon day, and it is impossible for the officers to not see as those who come to resist the base construction see. The police are not robots, they are human. Humans that work for a paycheck.

One day, a riot squad officer spoke English to me. As I was drumming and sitting with my arms linked to another man, he spoke “Excuse me, please get up.” I was surprised. I looked at him and shook my head, saying “Daijobu Desu”. The officer laughed and asked me to get up again before lifting me up with another officer. I kept drumming and he asked if the drum were mine and if I knew what the symbols meant. I told him “Yes, it means Na Mu Myo Ho Ren Ge Kyo”. Then I asked him if he understands why we are here. He replied “Thank You” as he brought me to the holding pen.

We called this holding pen for people partaking in the sit-ins “Jail”. When we got picked up, we were being brought to “Jail” until the trucks were finished entering the gates. At times, it was difficult to believe this whole process was real. As if it was just a false reality or bizarre world where the police went insane and kept doing the same thing every single day without a genuine purpose. There is no heart in what they are doing. It is all for the benefit of military expansion, for the perpetuation of war and violence. It is insanity to me.

One major thing we all noticed going to the gate each day was that there was a distinct group of people missing from the direct actions: young adults. I am 27 years old and was the youngest at the gate, as far as I knew. This was alarming at first, but as time went on we came to understand how complex it can be for young Okinawans and Japanese to come to the demonstrations at the gate. These reasons include: cultural expectations, fear for their career future, fear for being on camera, not being able to show their faces, the sit-ins being too aggressive, the language being too aggressive, having friends in the military, having friends that work on the base, apathy, and caring but being too busy with personal life.

Even some of the college students and young people we became friends with did not come to the gate. They could speak of the construction and the problems with military overreach that impacts their lives, but this did not drive their passion to want to be at the gate regularly. Many I met are busy, with work and school, paying bills and trying to enjoy life between all the stress they face in everyday life. Maybe they just want to feel normal, and facing the reality of the military occupation challenges that sense of “life as normal” too much for young people. Young people are still learning about themselves in many ways too. To commit to the major issue that comes as a result of U.S. Military Occupation may be too much for most that are in their own personal process of growing and learning. I feel they can be reached, but we can not blame someone who needs or wants to get a handle of their own life. It is important for the people at the gate each day to understand this, and that they must keep reaching out to young people despite any hopeless feelings about them. It is difficult to generalize a group of people, but if one person changes their mind about the military bases, that is still progress. That is still changing the world.

Some people come and go from the gate demonstrations daily, some on occasion. Some may only come once to experience it and share the story. Considering the 1.4 million people that live on the Island of Okinawa, most people do not come to the gate. Some days there are 40 people. Some days there are 200. But it is going to take the people united to truly stop the But it is going to that the people united to truly stop the Henoko Base Construction.

Considering the many people I met and also my personal experience, I found it is not easy to go to the gate every day. It is not easy to face the harsh realities that have built up to this moment of deeply ingrained oppression that the people of Okinawa face constantly. I was in Okinawa for just about 2 months. In this time, we also held a peace walk from the northern tip to the southern tip, to remember the victims of the Battle of Okinawa and pray for the water.

The peace walk came at a good time, as my group was feeling the effects of going to the gate almost every day. This peace walk was a movement for the people, the earth and the water. We called it a water walk, similar to those being held in the United States with the Spirit of the Water Protectors in mind. It was also a great opportunity to begin reflecting on my experience in Okinawa and remember the people I met. At times, difficult with several days of rain and the hot sun, we completed the walk on Remembrance Day and shared our prayers with many others to continue our commitment to a peaceful world. For this, we will never give up.

I am as grateful as I can be for this experience, to learn and share my time with amazing people that commit to the greatest of causes: peace. Moving forward, I will never forget this experience and what I have learned. It has changed me and helped me grow in many ways, ways that were unforeseen before coming to Okinawa. I will bring these lessons and the story of Okinawa’s struggle with me everywhere I go, to share and teach others of this difficult reality that continues to this very moment. With the awful and unstable state of the federal government in the United States, the American people deserve to understand what their military is doing. I will help them understand. I will also help them understand that the people of Okinawa deserve to be free. It is timeBut it is going to that the people united to truly stop the Henoko Base Construction.

2017年7月4日火曜日

八名の米国人との二ヵ月間を振り返って、沖縄そして辺野古の現地から

    

五月四日より、六月三十日まで約二ヶ月、計八名がアメリカより沖縄にやってきました。
沖縄の歴史を学び、そして沖縄の人達の米軍基地を沖縄からなくす闘いを支援するためにです。
先住民の女性一名以外は皆二十代の若者たちでした。

そもそもの御縁は、今年の三月、アメリカで安田行純法尼の平和行進に、沖縄の大学生達と共に参加した時、沖縄の話をしたのをアメリカの人達が聞いた事がきっかけとなりました。

八名のうち三名は二ヶ月間滞在し、辺野古の闘いの現地だけでなく、同年代の仲間達と時間を共にし、基地の問題以外の事も共有しました。

アメリカの皆が驚いていた事は、辺野古の闘いの現場には若者が全くといっていいほど、見えない事でした。
アメリカで昨年来、注目を集めていたのが、北米先住民の土地と水源を石油パイプライン建設から守る闘いでしたが、それに参加していた彼らは、若者達が主体的に動き、闘いを牽引していたのを見ていたので、沖縄での若者の不参加に対して、大きな疑問を抱き、問題だと感じていました。

米軍基地に問題意識があっても授業とバイトで忙しすぎたり、自分の抱える問題や趣味に忙しかったり、或いは米軍基地を問題だと意識していなかったりと、色々あります。

そんな中、一度だけでしたが、名桜大学でアメリカの平和行進の報告会をできた事は良い繋がりを作れてよかったです。
そこには、座り込みに参加したことのない学生達も話に入ってくれて、「基地に反対ではありません」という学生も参加してくれました。彼女は基地内に英語を習いに行っているという事でした。
しかし、ミーガン(沖縄に約一ヶ月滞在した二十代の女性)の話の中で、自身の二人のお兄さんがアメリカ軍で、そのうちの一人は空軍で、「中東での空爆をしていたはず」と話し、「私の兄達をはじめとする、軍人達を、このような仕事に従事させないようにするのを手伝ってください」と語った時、「基地に反対ではありません」と言った学生は涙をながしました。

沖縄の基地問題の運動はアメリカに比べて、政治色が強く、現地での会話も政治的な事や行政に対する怒りと批判に終始しています。
ガンディーやキング牧師等が大事にした、敵・味方を超えた非暴力の在り方、そして非暴力を、生活においても実践するといった、もうひとつ深い理解が沖縄の闘いには足りないのではないかと話が出ました。
政治的な意識を高める事は大切な事ではあるけれども、それよりも更に、人間一人ひとりの心の平和、そして普段の生活において、大企業に与しない毎日を送る事が諸問題を根源的に変えていくのではないか、などといった事も話し合いました。

私達の連日の辺野古での行動は、朝七時過ぎより辺野古のキャンプシュワブ前での御祈念から始まりました。
基地に向かい三敬礼をし、九時頃に機動隊が座り込み排除にやってくるまでは御祈念につとめ、その後、排除のなか、様々な形で御祈念させて頂きました。座り込みの人達の警察に対する怒りや、悲しみの感情の中に響く太鼓とお題目の音は、力と力の怒りによる問題解決ではなく、もうひとつ別の方法で問題を解決するという、私達の祈りによる、双方に対しての訴えでした。

沖縄戦の慰霊の日(6/23)にむけた平和行進では沖縄本島の辺戸岬に在る、あすむい御嶽(うたき=聖地)を出発し、二週間かけて本島南部の摩文仁の丘へと歩きました。
北部は実に御嶽の世界で、深いジャングルはまさに神々の住む地である事を感じさせてくれました。それとは対照的に中部は米軍基地とコンクリートの世界で、車の通行量も激増し、森林の中を歩くのとは違い、疲れやすく、ストレスも溜まりやすいと感じました。そして、南部に行くとまた緑が増え、聖地も多く点在しています。しかし南部は沖縄戦の激戦地にして、多くの住民が死んでいった地であります。七十二年が経過しても、この地で起きた地上戦のトラウマは眼に見える形として、又眼に見えない形としてはっきりと現代に残っています。

今回の行進では普段なかなか交わることのないような方々にお世話頂きました。パーマカルチャー農場、禅宗のお寺、プロテスタントの教会、そして個人個人のお家では、深い話しも出来て、お互いの理解を深め、関係を築く事が出来ました。
また、顔を何度も合わせていても、よく知らなかった仏教の宗教・宗派を超えた、世界的な繋がりを知ったことで、太鼓を撃ちはじめ、お題目を唱え、合掌し始めた人達を見たことは、私の驚きでした。

この二ヶ月間、アメリカの人達が、太鼓を撃ち、お題目を唱える姿を見て、今まで約四年間、辺野古で御祈念してきましたが、私達に話しかける人の数が明らかに多くなりました。宗教や祈りといったものが、ある特定の、閉ざされた集団のものである、という人々の認識が、アメリカ人たちの御祈念の姿によって、少し取り払われた事にも驚きました。

パーマカルチャー等で、生活のうえで非暴力を実現していこうとする人達と、自然を守り、軍事基地をつくらせない事で非暴力社会をつくりたいと願う人達、或いは、貧困をなくす等、様々な分野と方向から世界を良くしたいと願い、行動する人達は大勢います。
それぞれが、自分達グループの殻に閉じこもることなく、又インターネットのもうひとつの世界から飛び出して、人と人が、直接会うことで出来る、問題解決の道筋を祈り、歩く事が作っていく事もあるのだと気づかせていただきました。

この二ヶ月間、多くの皆様にお世話を頂き、深く感謝申し上げます。


2017年7月1日土曜日

WATER WALK FOR LIFE-walk for all victims of war-

The walk started from Northern tip to Down South of Okinawa island.
It took 2 weeks non-stop walking in a heat & in a rain.

Northern Okinawa, Yambaru Forest is a Jungle Area with Trees, Flowers, Butterfly, Birds, Bores, and more & more small creatures...  Walking in Beauty...

Central Okinawa, Military Bases and Concrete Jungle... Hardest part of the walk.
But Majority people live in this are, so Need to Walk & Pray.

Southern Okinawa is where hardest battle was happened during the Battle of Okinawa on 1945.
Over 200000 died US, J.P. and Okinawans just in 5 months.
Many Memorial sites in Southern Okinawa. Also June 23rd, Ceremony is held at Mabuni Peace Memorial Park each year with attending of Prime Minister of Japan and Governor of Okinawa.

Start from ASHIMUI UTAKI the sacred site.
Top of the mountain over view the island of Okinawa with Full Moon & Sunrise.


                                      It was Full Moon Day. Some how...






             It says that "the beauty of sacred site is the beauty of Okinawan people".
  
                                                       Oku river


                      Ryukyu Yamagame, Endemic species to Okinawa northern Jungle.


                                                       Fern Tree. Edible.


                                Walk was covered by Okinawan News Paper.

                                        Arrival at Henoko, Camp Schwab.

                                                        Henoko Bay.  

                                              Water from the mountains.
   
                                               Cooking a lunch for walkers.

                               With members of All Okinawa Council in Gnoza.

                                     Another water spring with Kids @ Kin Town.

                                         Natural cave at Buddhist Temple.

                           One of the oldest Buddhist Temple in Okinawa at Kin Town.

                                         CAMP HANSEN, USMC at Kin Town.


Isamu Nagamine shared his story when Onna Village success to stop US Base expansion on 70's.
Villagers were more connected to the village and nature, There-fore, all villagers could be united.

                                                      We are all wet.  
                                    Zakimi Castle Ruin at Yomitan Village.


            Torii Station, US Army Special Combat. These red gates are for Japanese Shrine.
                  How US Disrespect Native Culture of other lands? This is not acceptable.


                                Rain Rain Rain, Wet Wet Wet. Yes, Rainy Season.

                                                      Walk in Naha.






                     Yuko Chibana brought lunch for 2 days. A farmer in Ginowan City.

                                                Chinen Castle Ruin.

                                        Prayer site in Chinen Castle ruin.

                                     Chinen Ukka, Water from mountains.




Hamagawa Utaki sacred site. Where Amamikiyo the First Woman came to Okinawa, she stayed a few nights at this rocks.

Yahara Tsukasa sacred site. Where Amamikiyo the First Woman stepped on Okinawa first time.







                 Southern Okinawa where thousands of thousands humans killed each other.


At Himeyuri Memorial site. In a battle of Okinawa, students both men & woman pulled in to Japanese Army and many of them were killed.

                   Hokekyoji Temple. Okinawa woman sing a song with Sanshin instrument.

                    Each year, Buddhist Monks from Main land come & offer the prayer.


Shi-sa. Protector of a House.



Koba-san. He walked all way. He is 74, Okinawan elder. We are so honor to walk with him.

Survivor of the Mass suicide in Kerama islands talked about his life on the day of 23rd June.
23rd June is a Memorial day for the Battle of Okinawa. It's a holiday in Okinawa. However, people in Main land don't know about this day. Hiroshima, Nagasaki Day is nation wide ceremony, but intentionally Japanese people keet Okinawa away from main land. It's a discrimination but Japanese people even don't realize that they are discriminate Okinawa. It means, Do nothing for Okinawa is a helping the discrimination by Japanese government to Okinawa.

Mass suicide happened because of brain washing by Japanese government that if you are captured by US soldiers, you will be raped or tortured to death. but this wasn't true. This was true by Japanese soldiers to Asian people.

So, Okinawan & Japanese people were taught to die rather than being captured.
It means Okinawan people were killed by not only American forces but also Japanese soldiers, too.