八名の米国人との二ヵ月間を振り返って、沖縄そして辺野古の現地から
五月四日より、六月三十日まで約二ヶ月、計八名がアメリカより沖
沖縄の歴史を学び、そして沖縄の人達の米軍 基地を沖縄からなくす闘いを支援するためにです。
そもそもの御縁は、今年の三月、アメリカで安田行純法尼の平和行 進に、沖縄の大学生達と共に参加した時、沖縄の話をしたのをアメリ カの人達が聞いた事がきっかけとなりました。
八名のうち三名は二ヶ月間滞在し、辺野古の闘いの現地だけでなく 、同年代の仲間達と時間を共にし、基地の問題以外の事も共有しまし た。
アメリカの皆が驚いていた事は、辺野古の闘いの現場には若者が全くと いっていいほど、見えない事でした。
アメリカで昨年来、注目を集めていたのが、北米先住民の土地と水 源を石油パイプライン建設から守る闘いでしたが、 それに参加していた彼らは、若者達が主体的に動き、闘いを牽引し ていたのを見ていたので、沖縄での若者の不参加に対して、 大きな疑問を抱き、問題だと感じていました。
米軍基地に問題意識があっても授業とバイトで忙しすぎたり、自分 の抱える問題や趣味に忙しかったり、或いは米軍基地を問題だと意 識していなかったりと、色々あります。
そんな中、一度だけでしたが、名桜大学でアメリカの平和行進の報 告会をできた事は良い繋がりを作れてよかったです。
そこには、座り込みに参加したことのない学生達も話に入ってくれて、「基地に反対ではありません」という学生も参加してくれました。彼女は基地内に英語を習いに行っているという事でした。
しかし、ミーガン(沖縄に約一ヶ月滞在した二十代の女性)の話の中で、自身の二人のお兄さんがアメリカ軍で、そのうちの一人は空軍で、「中東での空爆をしていたはず」と話し、「私の兄達をはじめとする、軍人達を、このような仕事に従事させないようにするのを手伝ってください」と語った時、「基地に反対ではありません」と言った学生は涙をながしました。
沖縄の基地問題の運動はアメリカに比べて、政治色が強く、現地で の会話も政治的な事や行政に対する怒りと批判に終始しています。
ガンディーやキング牧師等が大事にした、敵・味方を超えた非暴力 の在り方、そして非暴力を、生活においても実践するといった、もう ひとつ深い理解が沖縄の闘いには足りないのではないかと話が出ま した。
政治的な意識を高める事は大切な事ではあるけれども、それよりも更に、人間一人ひとりの心の平和、そして普段の生活において、大企業に与しない毎日を送る事が諸問題を根源的に変えていくのではないか、などといった事も話し合いました。
私達の連日の辺野古での行動は、朝七時過ぎより辺野古のキャンプ シュワブ前での御祈念から始まりました。
基地に向かい三敬礼をし、九時頃に機 動隊が座り込み排除にやってくるまでは御祈念につとめ、その後、 排除のなか、様々な形で御祈念させて頂きました。座り込みの人達の 警察に対する怒りや、悲しみの感情の中に響く太鼓とお題目の音は 、力と力の怒りによる問題解決ではなく、もうひとつ別の方法で 問題を解決するという、私達の祈りによる、双方に対しての訴えでした。
沖縄戦の慰霊の日(6/23)にむけた平和行進では沖縄本島の辺 戸岬に在る、あすむい御嶽(うたき=聖地)を出発し、二週間かけて本島南 部の摩文仁の丘へと歩きました。
北部は実に御嶽の世界で、深いジャングルはまさに神々の住む地である事を感じさせてくれました。それとは対照的に中部は米軍基地とコンクリートの世界で、車の通行量も激増し、森林の中を歩くのとは違い、疲れやすく、ストレスも溜まりやすいと感じました。そして、南部に行くとまた緑が増え、聖地も多く点在しています。しかし南部は沖縄戦の激戦地にして、多くの住民が死んでいった地であります。七十二年が経過しても、この地で起きた地上戦のトラウマは眼に見える形として、又眼に見えない形としてはっきりと現代に残っています。
今回の行進では普段なかなか交わることのないような方々にお世話 頂きました。パーマカルチャー農場、禅宗のお寺、プロテスタントの教会、そして個人個人のお家では、深い話しも出来て、お互いの理解を深め、関係を築く事が出来ました。
また、顔を何度も合わせていても、よく知らなかった仏教の宗教・宗派を超えた、世界的な繋がりを知ったこと で、太鼓を撃ちはじめ、お題目を唱え、合掌し始めた人達を見たこと は、私の驚きでした。
この二ヶ月間、アメリカの人達が、太鼓を撃ち、お題目を唱える姿を見て、今まで約四年間、辺野古で御祈念してきましたが、私達に話しかける人の数が明らかに多くなりました。宗教や祈りといったものが、ある特定の、閉ざされた集団のものである、という人々の認識が、アメリカ人たちの御祈念の姿によって、少し取り払われた事にも驚きました。
パーマカルチャー等で、生活のうえで非暴力を実現していこうとす る人達と、自然を守り、軍事基地をつくらせない事で非暴力社会を つくりたいと願う人達、或いは、貧困をなくす等、様々な分野と方 向から世界を良くしたいと願い、行動する人達は大勢います。
それぞれが、自分達グループの殻に閉じこもることなく、又インターネットのもうひとつの世界から飛び出して、人と人が、直接会うことで出来る、問題解決の道筋を祈り、歩く事が作っていく事もあるのだと気づかせていただきました。
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