In southern Japan there is an island called Okinawa. Ryukyu is the previous name of this island before the Japanese invaded in the 17th century.

During World War Ⅱ, Okinawa was sacrificed to protect the Japanese mainland. At that time, the majority Okinawans were Japanised in an education system, forcefully taught a loyalty to Japanese Emperor. In 1945 the U.S. brutally invaded Okinawa — the ”Storm of Iron" — and took the lives of 1 out of 4 Okinawan people.

From 1945 to 1972, the island was ruled by the US Military government. Okinawa became a lawless area. In 1972, the island was returned to Japanese hands.

In July, 2014, both the Japanese and US governments started the construction of a new U.S. military base to have a new base in Henoko, although 20% of the island is already occupied by US Bases. Henoko is the site of beautiful Oura bay. The government plans to landfill Oura bay, an area of unusual of marine bio-diversity where endangered species live.

In June, 2015 opinion poll shows that 80% of Okinawan people oppose the construction of the base. In protest, the people have built a permanent community of tents in front of Camp Schwab, a US Marine Corps base, and we are there every day around the clock. Opposition includes the prefectural government of Okinawa and many national and local representatives in Okinawa are our side.

On 13th、October, 2015
A governor of Okinawa revoked a permission of reclamation which was signed by Previous governor.

The dispute over the new U.S.base's construction in Henoko between Tokyo & Okinawa is set to develop into a court battle.

4th March, 2016
the government of Japan and the Okinawa prefectural government reached a settle ment for lawsuits filed over the plan move U.S.Marine Corps Air Station Futenma to Henoko.

At the moment, All constructions in Henoko has stopped.
Until the Japanese Government violently restart again.

11th July 2016
While the Henoko is stop, Japanese government suddenly re-started TAKAE helipads Construction.
More than 500 riot police has been sent from main land.
Beautiful Rain forest's village has become a chaotic situation.

February 2017
Henoko construction has restarted.
Land Fill has also started. the Government plans to complete in 5 years. However, the Protectors at Henoko keep fighting to protect the bay. As well as a Governor of Okinawa and Mayor of Nago city have power to not being complete the construction.
Next year, January and November, there are elections for both mayor and governor. It's going to be a key for Henoko.

The determined people won't give up.

This blog is to spread the message and to tell the story of our non-violent daily action.


2016年12月15日木曜日

MV-22 Osprey crushed in Nago, Okinawa.

In the night of 13th December. 
MV-22 Osprey of USMC crushed in a quiet & small village of Abu.
Abu is a part of Nago-city but Abu locate on the east coast of Nago.
Abu is close to Henoko where usually the tourist or even Okinawa people don't stop at this village. It's a kind of mysterious place. There is a tiny island call "All-jima" where no people but goats. This "All-jima" is sacred site for local people.

Anyway, 5 passengers of Osprey were rescued & two of them were injured is the information from USMC.

Osprey is an air craft which is the most being scared one by Okinawa people.
Because of it's high percentage of accident that is why Osprey has an another name as"Widow Maker".

Osprey crushed on the reef where is about a half mile from the village.

From the beginning, the deployment of MV-22 Osprey was denied by people of Okinawa and local leaders of all Okinawa also requested to not deploy the Osprey.

In this situation, the accident was happened.

On next day of the accident Lt. Gen. Lawrence Nicholson visited the prefectural authorities & he met with vice-governor of Okinawa.
Lt. Gen. Lawrence Nicholson said to the vice governor that 
" the pilot should be praised, he avoided housing area"
"we should be appreciated of no victims from the accident"

These words by Lt. Gen. Lawrence Nicholson caught fire on people of Okinawa.

Okinawa government & media expressed that "These words came from colonialism mind."


Takae's helipads are almost completed & Camp Schwab's barracks are started to build.

Okinawa, still unstable situation...

at Abu beach, USMC troops are holding the broken Osprey
Where the Osprey was crushed
Yellow tape shows the temporary fence.
Civilians are not allowed to get close.
USMC troops surround the broken Osprey.
Japanese Authorities are not allowed to investigate the accident.
Taking back all pieces of evidence.
a Piece of Osprey.
Japanese police work for USMC... 
Near the Abu village where USMC troops made temporary camping site.
I wonder how does the Japanese law allowed for USMC taking a land suddenly...

2016年11月29日火曜日

特別寄稿~沖縄の空の下で~by Yasuyo Tanaka

高江に行くと決めたのは、沖縄の鴨下上人からの参議院選明けの機動隊暴 挙のメール「高江から見える今の日本」を読んだ後だった。彼とは、20 14年のピースウォークで訪米中に「標的の村」を上映した時に知り合っ た。その数ヶ月前に、アメリカ人監督レジス・トランブレイに出会って 「済州島のゴーストたち」を観ていた私にとって、米軍基地の建設に反対 する韓国の済州島のカンジョン村と沖縄県の高江のことは重なりあってい た。同年の10月、JEJU平和祭に参加し、カンジョン村に行って以来、 高江に行きたいと思っていた。

国立キノキュッヘで「高江ー森は泣いている」の上映会で知り合った星埜 美智子さんと那覇で合流し、最初に沖縄の縮図と言われる伊江島へ向かっ た。この島は、東洋一の日本軍の飛行場があったため、米軍に狙われ戦闘 に巻き込まれ、「軍官民共生共死の一体化」により大量の死者がでた。降 伏後、米軍基地建設が始まり、強制移住させられ土地を強奪された島民は 非暴力の抵抗闘争を続けた。沖縄本島を縦断する「乞食行進」が、島ぐる み闘争へと実を結び、オール沖縄の原点となった。全島の63%を占めて いた米軍用地は35%となったが、今も演習場として島民の生活に被害を 与えていることをはじめて知った。反戦平和資料館を建設した阿波根昌鴻 の命こそ宝というメッゼージをフェリーの甲板で手を振る民泊した修学旅 行生達の後ろ姿に思う。島についた時には見えなかった戦争の風景が、青 い海と空に溶け込んでいた。

緑の濃いやんばるの森を望み、座り込みの中心人物である安次嶺現達さん の経営する太平洋を見晴らす「カフェ水母」に寄り、自然を堪能する。海 岸で戯れる母と子の姿を見て、多様な生物が共存するこの土地で、人間も 自然の一部だと思う。この地域は、沖縄本島の水源地で、「県民の水が め」と呼ばれ、北部訓練場には4つのダムが隣接している。沖縄の民意を 無視し、ヘリパッド年内完成を目指す日米政府は、自然を、命の水を破壊 している。

でいご家は、仮設の建物でシャワーとキッチンがあり、男女に分かれたド ミトリーは1泊500円。田丸正幸さんに連絡して、自己申告で泊まるこ とができる。国際的な情報発信地としてアピールできる可能性もある場所 だが、人手不足でオーガナイズが難しそうだ。11月5日土曜日、早朝か らメインゲートの集会に加わった。大型バスが到着し、沖縄じゅうから人 が集まってきた。沖縄と愛知県警の機動隊が見張る炎天下、近況報告の 後、次々に参加者が話しを始め、時には歌い身を動かし連帯を表現した。

ここに来るきっかけをくれた鴨下上人の紹介をうけ、私も各地で起きてい る水を守る運動を伝えた。栃木県の塩谷町の誇る名水100選の尚仁沢湧 水の水源地を放射能廃棄物の最終処分場の候補地にされた住民の反対運動 や、地下石油パイプラインのプロジェクトで水源のミズーリ川の汚染に抗 議するアメリカ先住民スタンディングロック・スー族のダコタパイプライ ンなど、高江の抗議運動も命の水問題としてつながり世界へ発信しようと 言及した。

暑さの中、午後にいざこざがあったが大事に至らず、参加人数が多かった ので、この日はメインゲートへの搬入を止める事が出来た。午後3時過ぎ 頃、N1ゲート前で搬入が始まったと聞き駆けつけたが、ここでは、集 まった人が少なく、一人一人に機動隊がつき、身動きできなかった。機動 隊員に息子の様に話しかける沖縄の年配女性、一人ゲート前に走り出て座 り込み、すぐに運びだされたお爺がいた。

機動隊と抗議活動を続けてきた沖縄の人達の間での緊張感は高い。長年、 積み重なった理不尽な扱いに反応してしまうのだ。ちょっとした事で小競 り合いとなり、中には挑戦的な言い方をしてしまう人もいる。それを知る 人達の間で、どっちもどっちだという発言を聞き、本質を視ずにそう思わ れてしまう事が残念だ。闘う相手は目の前にいない。鴨下上人の太鼓を叩 く音が淡々と鳴り響く。教えを導く心構えが大切といった阿波根昌鴻の 「陳情規定」思いだし、本当に闘わなくてはいけない相手は、自分自身な のかもしれないと感じた。

高江で出会った仲間達は、魅力的だった。抗議運動に華やかな明るさを加 えてくれたピンクレンジャー。この日の為に、ピンクの衣装を身にまとっ た女性達が、遠くから高江を救いに集まってきた。ネットを駆使して、こ れまでの運動の近づきがたいイメージを一新させるパワーがある。毎月、 仕事の休みをとって通いだしてから1年になる、平和の俳句を詠む上谷純 代さん。「星月夜心奥(しんおう)へ訊く平和とは」(中日新聞「平和の 俳句9・10月優秀句百選」)吸い込まれそうなやんばるの星空は心の底と 同じように深い。自分の心、人々の心にも尋ねてみようと呼び掛けたとい う。ニューヨークに住んでいたこともあり海外経験が豊富で、被災地のボ ランティアにも参加している思いやりがありとても面倒見が良い根岸貴通 さん。日曜日は、工事が休みだと聞いて、3人で辺野古の海を見に行くこ とになった。

大浦湾から、新基地建設反対の抗議船「平和丸」に乗り、埋立予定地に漕 ぎ出した。臨時制限区域に近づくと、沖縄防衛局を示すODBのマークを つけた複数の警備ボートが接近し警備員が立ち入りは禁止と威嚇。それに 対し船長は、労いの言葉と給料はピンハネされてないか心配し、警備員に エールを送っていた。帰る頃には、手を振ると振り返す警備員もいた。サ ンゴの見える海の透明度と埋立地の規模に圧倒され、人間のおごりと愚か さに言葉を失った。

辺野古のテントに寄ると何が起こっているのかを写真やパンフレットを見 せながら丁寧に説明して情報を提供してくれた。東京から観光に来てここ に寄り、事情を知り戻れなくなったという高齢の女性が、テントでボラン ティアをしていた。11月3日に94歳で亡くなった反対運動の象徴的な 存在だった嘉陽宗義さん。高江に車椅子で駆けつけていた島袋文子さん、 「ヌチドゥタカラの家」館長の謝花悦子さんといい、戦争体験者が、戦争 を知らない私達の命を守るため最前線にいる。

「嘉陽のお爺」を偲んで、米軍のフェンスにしっかり結んだ潮風になびく 夥しい数の黒いリボン。平和や辺野古の海への思いを託したバナーが風に 膨らむ。この抗議に対してクレームがあり、バナーは夕方取り外し、次の 日にまた結びつけるのだという。フェンスで分断された人達の心。この黒 いリボンを忘れない。

名護署の前で、高江の反対運動で不当拘留されている仲間を応援する。建 物のどこにいるのかとカメラを向けると私達を見張る私服の男に撮影を禁 止される。権力を象徴する建物。この中に閉じ込められているのは私達の 身代わりに捕まった仲間達でなく、権力に仕える人達なのではと思う。自 由な心、それは何者に支配されることはない。厚い壁に阻まれて、私達の 声はかき消されるかもしれないが、この思いは届くような気がして、大き な声で「頑張りましょう。」と空に向かって叫んでいた。

2016年11月27日日曜日

特別寄稿-アメリカ西海岸ワシントン州に住む仏教僧が語るアメリカの平和運動-

~米国北東端と北西端の平和行進 ~

米国北東端メイン州に住むブルース・ギャグノンさんは、ベテラン・ フォー・ピース(平和を願う復員 軍人の会)に属する平和運動家で北米大陸すべての日本山妙法寺の僧尼と 足かけ三十年にわたっ て密接な信頼関係を築いてきました。
今では「日本山のお太鼓とお題目に 導かれない平和行進は想 像できない。」と言う氏の目下の関心は、ドローンや駆逐艦をはじめアメリカの「国の柱」となっている 軍需産業、済州島はじめ韓国各地で進められている新規米軍施設、沖縄の 高江と辺野古に向けら れています。

氏はここ数年韓国、沖縄の米軍基地とその周辺への訪問を欠 かしません。それぞれの 市民、宗教者と互いに励ましあいながら着実に運動を展開しているのです 。
アメリカの平和運動家の 中で在外米軍基地問題を視野に入れている人の数はそう多くはなく、また その中の多くが戦場であれ、基地内外であれ外国暮らしを経験したベテラン(復員兵)である事に納得がいきます。
本年十月十一日から二十六日、グラフトン・レバレットの毎秋の宝塔様のお祝いの日程に合わせて 設定された五度目のメイン州での平和行進に参加しました。
「すべての軍事費に終止符を」と謳わ れ、基地や軍需産業に依存する町はじめ紅葉と白亜のキリスト教会に彩ら れた晩秋の町々を唱題 し、復員兵の旗とともに歩きました。

長くなりますが米国の成り立ちと抜 きさし難く結びつきた軍国主 義について語ってみたいと思います。

アメリカは侵略戦争を国是とし「神」としてきました。

米国ではどんなに 名もない田舎町でも戦没者 の名を刻んだメモリアルが町の最も目立つ場所にまつられています。
古く は内戦(南北戦争)、近くは イラク戦争の戦死者におよぶ碑は一見、海軍宇佐航空隊という特攻隊の基 地のあった私の生まれ故 郷の町の慰霊碑を想い起こさせます。
しかし、それは似て非なるもので す。
戦後七一年、アメリカが 戦争を休んだ日はありませんでした。そして例外なく国の外で繰り広げら れてきた戦争がもたらした 死者たち(兵士)の名前とその名を刻んだ大きな御影石の墓標が今も増え 続け、その終焉は誰にも 予測不可能です。
朝鮮・ベトナム戦争からグレナダ侵攻、ニカラグア介 入、湾岸、コソボ、アフガン、 イラクに至るまで。ソ連が崩壊する前もした後も雨や風が止む日はあって もアメリカ軍が軍事行動を 起こさない日がこれまであったでしょうか。
多くの帰還兵が指摘する如く この軍事行動とは世界無敵 の国家権力によって正当化されてきた「大量殺人」なのです。

この十月、高江の米軍ヘリポート建設から命と村を護ろうとした沖縄県 民を本土から来た若い機動 隊員が「土人」呼ばわりしたことが報道されました。

言うまでもなく米国 史は「土人」とさげすんだ先住 民アメリカ・インディアンが万年もの昔から生きてきた大地と命を奪い絶 滅寸前に追いやることから始まりました。
犠牲者の数は推定すらされていません。

フロンティアと呼ば れた白人開拓者と騎兵隊の 砦が西海岸に達した後、太平洋はアメリカ最大の湖と化しました。
ハワイやグアム、フィリピン、サモア やマーシャル群島。

日本も例外にあらず十九世紀半ばの黒船襲来から百年を経ずして首都の鼻先 の東京湾口に米海軍横須賀基地が置かれ、隣の韓国を含め沖縄と本土には 今や八百以上と言わ れる全世界の在外米軍基地のおよそ四分の一(一九六か所)が集まってい ます。
先住民居留地を訪ねると残念ながら今でも希望よりはるかに絶望が支配 しているように感じます。
北米先住民が被った虐殺の歴史と今全世界に「死」のハンバーガー・ チェーンとして展開する在外 米軍基地が世界の無特権の人々に与えてきた災いを区別することはできま せん。
おびただしい核実 験と原爆投下がアメリカが力ずくで奪った太平洋の島々や国とインディア ンの住む西部の砂漠で、ま るで「遊び場」で戯れるように行われてきました。

人類史上最も残酷な仕業ともいえる奴隷制度とともにアメリカのなりた ちと歩みはコロンバス以来の 西欧白人国家による有色人種支配、差別構造をこのうえなく鮮明に体現し てきました。

英語は今や がん細胞の様に増殖し続ける史上最大、唯一無二の帝国主義言語です。人 類史上アメリカほど急 速に強奪と暴力を繰り返して出来上がりのしあがった国はないでしょう。
たかだか二百年あまりの本 当に短い間に達成された出来事であったことを考える必要があると思いま す。

おびただしい在外米 軍基地が展開されたのが核爆弾同様戦後七十年あまりの出来事であった事 とあわせて。
私たちの御師匠様はガンディー翁とならんでこのからくりを痛いほどつ かれました。世の指導的仏 教者にあって稀有であり、歯に衣を着せず鋭く指摘されました。
ことに犠牲壇に立つこととなったアメ リカ先住民、黒人や被爆者の存在とその祈りの中に世界平和希求のよすがを提示されました。

わたしたち日本山妙法寺の存在意義は、北米に限らずともかかる人々の祈りに 続いてお太鼓をうち、歩 いていく事に尽きると思います。

メイン州はほとんどが保守的な片田舎です。
歩くと大統領候補トランプ 氏のおびただしい立て看板 と共に「ここはニューヨーク州ではない。
銃を持つ権利を護ろう(NY州は 知事自身も銃規制・原発廃 止を検討しています)。」というスローガンに出くわします。
この二年間、米国では無防備の黒人青年を白人警官が撃ち殺す事件が後を絶ちません。
これはほとんど聖域ともいえる武器所有が憲法第二 条によって保障されてきたこと、それとアメリカに(白人以外として) 一、二年でも住めばわかる事です が、社会に一貫してきた暗愚でおぞましい人種差別の反映です。

この八年間、大統領オバマ氏を含 む「銃規制」の試みは一度も成就しませんでした。
多くのアメリカ人は世界中に展開している米軍基地について全く疑問を 抱いていません。
国全体で およそ二億七千万丁あるという銃に考えが及びません。
それはまるで空気の様に自明のものなので 自覚がむずかしく、多くの場合、多数派であるアメリカ白人の大半の「無意識」のうちに眠っている 「我々は特別だ。なにしろ自由と民主主義を世界にもたらす為、神から使 命を託された国民なのだか ら。」という"選民感情"~マニフェスト・デステネィ(言わずと知れた宿 命)と一体化しています。
それでだ れからも頼まれてもいないのに教室のいじめっ子か世界の警察官の様にふ るまって平気でいられる のでしょう。
もしもマイアミに中国やロシアの基地があったらどう思うか などという想像力を欠いている のです。

アメリカでご修行し十三年あまりになります。
その間多くの平和を願う 宗教者や運動家と接する機会 を得ました。
アメリカが誇る巨大な軍事力と対極を成すようにアメリカには逞しい平和 運動の歴史があります。
信仰 と良心に基づいて服役することをためらわないカソリックの尼僧や神父さ んがおられるカトリック・ワー カー、かつて逃亡奴隷をカナダに逃すお手伝いをした兵役拒否のクエーカ ー、革新的で寛容な心 をもったユニタリアン教会等々、その柔和な外見と裏腹に鋼鉄のような意 志と行動力をもった人たち がいるのです。
その中でブルース氏はじめ目覚めた帰還兵、戦争の苦汁を 味あわされた人々は、多 くのアメリカ人が戦争の実態を一切知らされず、また自らがしている事に 全く目を背けている中で貴重かつ力強い存在です。

このたびのメインの行進は、ペナブスカットという美しい響きをもつ河の中洲にある同じ名の先住民 居留地から始まりました。
州最大六千人の雇用を誇る「バース鉄鋼所」は 米国の駆逐艦製造の一中心で、また最終地点ニューハンプシャー州にまたがるポーツマス海軍基地 では伝統的に原子力潜水艦が造られてきました。
その門前や帰宅する労働者の前に立って唱題しながら米国人の多くの家庭、その生計を支える元となっている軍隊や軍需産業に思いを馳せまし た。
結果的にこの地上に力と脅しによる安定よりもはるかに「死」や「憎悪」を再生産しながら、ごく一部には巨万の富を与え、政治家や権力者のほとんどがそれによって操られている国。

そのしくみを変えていこうとすることの途方のなさ、とりとめのなさを自覚しながら、かりそめにも仏弟子となったこ とは沈黙と諦め以外の選択肢を探り、実践していくことに外ならないのだと思います。

私たちのお太鼓は武器ではありません。

しかし、これが武器に対し、それ以上の力を発揮することが身をもって信じられることがたまにあります。
この行進のみならず、アメリカの平和運動を担い、継承 している人達がその太鼓が発する天からの「鼓動」に感謝してくださり、 ためらいもなく随喜讃嘆してく ださる姿です。
実際渦中にいるとわかりませんが、このご修行の形は仏教と云えば黙って山奥で瞑想 しているものと思いがちなアメリカ人に相当強烈な印象と感動をもたらしています。
この「方法」とは言うまでもなく八百年以上も昔、太平洋の潮風に吹かれて少年時代を送られ た一人の日本のお坊さんによってはじめられたものなのです。

アメリカでは平和運動はとりわけ宗教者によって担われてきました。
キ リスト教はかつて侵略と先住民文化破壊の最前衛にいましたが、どうじに昔も今も反戦平和の運動を 担ってその粘り強い基礎体 力となってきました。
大統領が就任式で聖書に手を置いて「善い政治家に なる事を誓う」アメリカは意 外にも日本よりはるかに「宗教国家」です。
そしてキリスト教会からの無償の援助がなかったらアメリカ で平和行進は成り立ちません。

私はかねてからアメリカの平和運動にもっと有色人種が参加する日が来 る事を願ってきました。
他ならぬ私がそのひとりですから。

概して白人には意見を述べる機会と場が 与えられるだけの政治・経済力とよりましな教育を受ける機会、付随して無条件の歴史的特権があ り、何より朝起きて町に出た 途端に毎日人種差別にさらされるストレスも理由もありません。
この国で 先住民や奴隷の子孫として 生まれると、アジアやアフリカ、中南米諸国から新たに移民してきた人達 よりもある意味で不幸です。
何故なら過去四百年にわたる「差別」が生んだ怒りと憎しみ、貧困と暴力 の連鎖が心身を傷つけ、当 たり前の(一級)市民として生きていける道を阻んできたからです。
三年前、リベラルな町として知られるオレゴン州ユージン市の婦人平和運動家が第五福竜丸で知 られるビキニ島のあるマーシャル諸島出身の学生さんからのメッセージを携えて、私の地元、太平洋岸米国北西部の毎夏の行進にやって来ました。

そこで「ノー・モア・ウィ スパード~これ以上ヒソヒソ話 はやめよう~」と題するマーシャル人(女性)初の水爆実験被害告発書の存 在を知りました。

翌2014年5月、マーク・バブスンさんというオレゴン州の州都セーラムでヴァイオリン教師をさ れている方から「アメリカで一番マーシャル諸島の人達が暮らしている (三千人)セーラムから長崎デ イに向けた平和行進をはじめてくださいませんか」と電話をいただきまし た。
爾来、マーシャルの人々との交流は今年(2016)年が三年目となり、昨年は国歌や踊りを披露 され、今年はマーシャル諸 島出身者の牧師さんが始めたキリスト教会に招待されました。

長崎に次いで史上4番目〈1946年7月1日)の核実験から換算して マーシャルで炸裂した原水爆の量は広島型原爆四千回分に相当します。
これは、原爆が一日も欠か さず十一年間落とされ 続けた量なのです。
マーシャルでは言うまでもなくロンゲラップ等汚染された島からの強制移住と被 爆者の放置、信じがたい疾病と被爆者差別(結婚、就職)などありとあらゆる苦悩、アメリカのおかした 悪徳行為が展開されてきました。

マーシャルの人たちは一見したところ想像した以上にシャイ(引っ込み思案)で純朴な人たちで、日本に二十五年間占領された後、アメリカ 軍が上陸占領して来た時は恐ろしくて物陰に隠れ、なすすべもなかったと言います。告発の先頭に 立ってきたマーシャル人の牧師さんと今春ラスベガスの核実験場への平和行進で出会いました。私は毎年夏マーシャルの人々が一人でも多く一緒に歩ける事を切に願っています。

シアトルで毎年一月、一週間行っている「マーティン・ルーサー・キング 師の日」の平和行進に今年 はメインから一夫婦が参加され、昨年はブルースさんが来られました。
今回はシアトル道場のあるベ インブリッジ島から十歳の中国出身の少年ベイリー・ヨシヒト君が参加し 全行程を歩きとおし、本人念願の玄題旗を持ちました。
またそのお母さんとマイラ信女が参加しまし た。
レバレット道場、グラフトン 道場より加藤上人、トビー上人、安田法尼が相前後して歩かれました。
米国北東端と北西端の平和 行進「交換留学」はこれからも続きます。
沖縄の米軍基地問題がかつてないほど正念場を迎えている中、御師匠様三十三回忌を迎え、外国からのお客様としては米国より最多の三十名以上の参詣者がみえる由うかがっております。
その方々のうちの大半が、法要翌日の十日に那覇に向けて飛び、米国各道場の出家はもとより、鴨下上人はじめ沖縄の日本山僧俗の関係者の方々と高江や辺野古で足かけ一週間 のご祈念をともにする予定です。全米各道場に集うこれら米国人の方々はいずれも街頭修行や平和行進のご縁がはじま りで、お太鼓を熱心にうってこられてきた方々です。

南無妙法蓮華経  
日本山妙法寺シアトル道場
合掌

2016年11月25日金曜日

Ikuko-san from Takae

I met Ikuko san the first time was on movie called #TargetedVillage (Youtube).
As she works at her family's small factory. Her & family are making  a traditional altar for ancestors. 
However, she gave up to work on it because it requiered a plenty of time & have to finish at once.
Since construction started forcibly, she lost her relaxed time at her village.
It has been ten years almost.

On 2014 I & her went to East cost of U.S.A to join a peace walk toward the Washington D.C.
She was very humble but told strongly of the U.S. military problem in Okinawa at  every
meetings.

I see her at the Takae often. 
Recntly, she was looks like very tired and disappointted, I was understanding that it's a due to the crack down by the police force to the people.

Police used to be taking a neutral position between construction people and opposition people.
Since Shinzo Abe became a prime minister, the police started useing their power to help U.S. military base construction.

Today I was with her at a gate, and she seems stronger than before. I saw, she was carried
away by 4 police men from blocking the trucks.

When we watch everyday numbers of trucks go into the gate, sometimes feeling like a give up or disappointment. 
Today, when I saw Ikuko san's effort, I received invisible power to continue my struggle.


Later, I asked her that 
I took your picture today because your act inspired me especially today.

And again I asked why you looks very strong today
?

And she answerd me that yeserday I went to the court and on the way back home, all of us felt the helpless situation... 
I wanted get out from this emotional situation, so I expressed that.

2016年11月20日日曜日

日曜日の思考 ー憂鬱なる現実の中から見える世界ー

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」by クロード・レヴィ=ストロース


時として、ヒトは無力感を味わったり、自分のやっていることに意味を見出だせない事がある。
そんな時に広大無辺なる宇宙を感じたり、目の前にある海を観る、或いは部屋の中の薄汚れたコンクリート性の壁でも…。

すべてが無意味であって、また、無意味でない。

自分、命、というものの時間は限られているものか…。
自分の日々の行いがどういう意味を持っているのか…

否定も、肯定も、大きな時間枠のなかでみればほんの些細なこと。
この世界において、何が正しいのかわからなくなるとき、とりあえずではあるけど、自分が落ち着くことのできる思想に出会うことがある。
ということで、以下は文化人類学者の川田順造氏の著書「人類学者への道」からの抜粋です。


「宇宙から見れば微小部分でしかない太陽系の、そのまた一遊星にすぎない地球の46億年の変動の果てに、百万年余り前になって、自らの意志によってではなく生存を始めたヒトの先祖。
だが互いに闘い、殺し合いながら、一部の勝者だけが享受した束の間の繁栄の果てに、気候変動と資源枯渇のなかで、やがてヒト全体が生存を終えることになるだろう」

「このサヴァンナに生きる人々の生活は、荒々しい自然に対して人間が極めて受動的にしか生きないとき、人間が引きずらなければならない悲惨を私に見せつける。だが、それとは逆に、自然に対して人間が挑み、人間の持つある種の要求に自然を従わせようとする努力を"遮二無二"つづけたとすれば、その行き着く先は、世界の一部に我々がすでに見ているように、一生"土"を踏まず、合金の檻のなかでひたすら無精卵を産み続ける鶏や、植物の実としての機能を全く奪われた、気の毒な種無しスイカを造り、大気や海を汚し、性行為を生殖から切り離し、まもなく死ぬことが分かっている病人の、心臓の鼓動が止まらずにいる時間をただ少しでも長引かせる為に、気管を切開して、最期に言いたいことも言えなくしてしまう医学を生み出す事になるのであろう…

…だが、この土地の人々の生活をいくらかでも知ったあとでは、私は、単純な自然・原始賛美論には、どうしても与することができない。自然を守れとか、自然にかえれ、とか云うような事が、それ自体、人工的な形で問題になるのは、人間がある程度、自然を制御するのに成功したあとの事である。自然にうちひしがれたままの人間というのは、みじめであり、腹立たしくさえもある。」

「理想の楽園としての人間の"自然状態"は、実際にはおそらく過去にも存在しなかったし、現在も地上に存在しないだろう。いうまでもなく、私が今見ているこのアフリカの一隅の人々の生活は、ヨーロッパの植民地支配に踏みにじられ、搾り取られたあとの、それなりに"自然状態"からは極めて遠いものである。しかし、アフリカの自然・歴史・社会について今私が持っている僅かな知識と体験から考えられる限りでは、過去をいくら遡っても、アフリカに理想郷があったとは思えないし、私の学んだ限りでの、現代の人類学の知見も、原始状態を理想化することのむなしさを教えているようだ。
私は、人類の歴史は、自然の一部でありながら自然を対象化する意志を持つようになった生物の一つの種が、悲惨な試行錯誤を重ねながら、個人の一生においても、社会全体としても、叡知を尽くして、つまり最も「人工的」に、自らの意思で自然の理法に改めて帰一する、その模索と努力の過程ではないかと思うことがある。
人間の理想としての"自然状態"は、無気力に自然に従属した状態ではなく、また、すでにある手本を探して見つかるものでもなく、意志によって人間がつくりだすべきものなのであろう。」   by   川田順造

2016年11月9日水曜日

Losing a Virgin forest in Okinawa

 There are already over 2000 trucks has been carried into a Virgin Forest of Takae, Okinawa.

 While the global warming as environmental issue is a one of the biggest issue in a world of today, a destruction of the Virgin Forest is completely wrong action to make.
It's an action going against times.

 
There are also hundreds of endemic species in this forest.
They live only in this forest of this world.

As well as 60%-70% of the water for people in Okinawa is provided by this forest.

Okinawa is a small island and no high mountains.
So, drought was an always big issue for people on this island.
However, Okinawa constructed numbers of dams in this few decades.

However, most of the dams in Okinawa are inside of U.S. Bases.

When the U.S. Military contaminate the water in dams, They don't give a notice to people.
As well as, they don't let Okinawa to investigate the area.

the Life in Okinawa is on the Hand of U.S. Military, Because the Water that we drink is in a U.S. Base.

I'm sure that if you know this truth, You would be amazed.
That what is your government does to the people of rest of world.

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