日曜日の思考 ー憂鬱なる現実の中から見える世界ー

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」by クロード・レヴィ=ストロース


時として、ヒトは無力感を味わったり、自分のやっていることに意味を見出だせない事がある。
そんな時に広大無辺なる宇宙を感じたり、目の前にある海を観る、或いは部屋の中の薄汚れたコンクリート性の壁でも…。

すべてが無意味であって、また、無意味でない。

自分、命、というものの時間は限られているものか…。
自分の日々の行いがどういう意味を持っているのか…

否定も、肯定も、大きな時間枠のなかでみればほんの些細なこと。
この世界において、何が正しいのかわからなくなるとき、とりあえずではあるけど、自分が落ち着くことのできる思想に出会うことがある。
ということで、以下は文化人類学者の川田順造氏の著書「人類学者への道」からの抜粋です。


「宇宙から見れば微小部分でしかない太陽系の、そのまた一遊星にすぎない地球の46億年の変動の果てに、百万年余り前になって、自らの意志によってではなく生存を始めたヒトの先祖。
だが互いに闘い、殺し合いながら、一部の勝者だけが享受した束の間の繁栄の果てに、気候変動と資源枯渇のなかで、やがてヒト全体が生存を終えることになるだろう」

「このサヴァンナに生きる人々の生活は、荒々しい自然に対して人間が極めて受動的にしか生きないとき、人間が引きずらなければならない悲惨を私に見せつける。だが、それとは逆に、自然に対して人間が挑み、人間の持つある種の要求に自然を従わせようとする努力を"遮二無二"つづけたとすれば、その行き着く先は、世界の一部に我々がすでに見ているように、一生"土"を踏まず、合金の檻のなかでひたすら無精卵を産み続ける鶏や、植物の実としての機能を全く奪われた、気の毒な種無しスイカを造り、大気や海を汚し、性行為を生殖から切り離し、まもなく死ぬことが分かっている病人の、心臓の鼓動が止まらずにいる時間をただ少しでも長引かせる為に、気管を切開して、最期に言いたいことも言えなくしてしまう医学を生み出す事になるのであろう…

…だが、この土地の人々の生活をいくらかでも知ったあとでは、私は、単純な自然・原始賛美論には、どうしても与することができない。自然を守れとか、自然にかえれ、とか云うような事が、それ自体、人工的な形で問題になるのは、人間がある程度、自然を制御するのに成功したあとの事である。自然にうちひしがれたままの人間というのは、みじめであり、腹立たしくさえもある。」

「理想の楽園としての人間の"自然状態"は、実際にはおそらく過去にも存在しなかったし、現在も地上に存在しないだろう。いうまでもなく、私が今見ているこのアフリカの一隅の人々の生活は、ヨーロッパの植民地支配に踏みにじられ、搾り取られたあとの、それなりに"自然状態"からは極めて遠いものである。しかし、アフリカの自然・歴史・社会について今私が持っている僅かな知識と体験から考えられる限りでは、過去をいくら遡っても、アフリカに理想郷があったとは思えないし、私の学んだ限りでの、現代の人類学の知見も、原始状態を理想化することのむなしさを教えているようだ。
私は、人類の歴史は、自然の一部でありながら自然を対象化する意志を持つようになった生物の一つの種が、悲惨な試行錯誤を重ねながら、個人の一生においても、社会全体としても、叡知を尽くして、つまり最も「人工的」に、自らの意思で自然の理法に改めて帰一する、その模索と努力の過程ではないかと思うことがある。
人間の理想としての"自然状態"は、無気力に自然に従属した状態ではなく、また、すでにある手本を探して見つかるものでもなく、意志によって人間がつくりだすべきものなのであろう。」   by   川田順造

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