ヨーロッパに沖縄の今を伝え歩く 1/30 - 2/15







  辺野古新基地建設阻止の声を広げ、連帯の輪を結ぶためにVoices For Creative Non-Violenceの Maya女史が沖縄の米軍問題の実情を伝えるために、イギリス、ドイツ、ポーランドと三カ国を巡る沖縄問題Speaking Tourを企画、準備してくださいました。
難民の大量流入でヨーロッパ社会全体が難民や多文化、他宗教に対し差別的、排除的、攻撃的になり、また何時起こると知れないテロの恐怖も加わり、政治も右傾化が進むヨーロッパに沖縄の非暴力の闘いの意義を伝え、連帯を訴え、双方の世界がより良い方向に向かう事を願い、今回の沖縄Speaking Tourの参加を決心しました。
イギリス
また今回のツアーの活動費をLUSHというイギリスに本部を置く会社が支援してくれ、彼らの会議でも発言の時間を頂きました。会議には店長や社員が700名程(日本人150名)世界各国から来ていました。
発言者は私の他にも、ドイツの再生可能エネルギー問題の活動家の報告と、フランスの難民キャンプンの現状の報告とがありました。
イギリスの多くの平和運動を経済的にLUSHが支えているという事です。
イギリスではロンドンを中心にマヤ女史の地元の人達をはじめ、ライブハウス、大学、日本人グループ、カトリック・ワーカーハウスで話をさせてもらい、アメリカ大使館、そして日本大使館前では日本人グループ(小林さん)中心の毎週金曜日行動に参加させて頂きました。
それから、ミルトンキーンズ市という日本山妙法寺の御仏舎利塔と道場がある比較的大きな街に三日間滞在し初日は諸宗教のミーティングに参加し、話をさせてもらいました。その時に沖縄県の読谷村出身の女性が居た事に驚きました。
次の日は休日で、翌日に日本山妙法寺の道場で節分会の法要、豆まきを行いました。百人近くの参詣者を得、市長と州長官をはじめ子供も大勢いて賑やかなものになりました。
ミルトンキーンズ市長とバッキンガム州長官にも沖縄の話しを伝えられ、資料等もお渡しできました。
ロンドン、ミルトンキーズ共に永瀬御上人様と丸田庵主様の居る日本山妙法寺の道場にお世話になりました。
1970年代からイギリスに入り修行し、平和の為に活動してきたお坊さん達のお陰様で今回のイギリスでの多くのミーティングが実現し、また市長や州長官など行政の方々からCNGといった反核の大きなグループや日本人の反核グループなどにもご縁ができました。
早朝ミルトンキーンズを出発しパリ(乗り換えで一時間程度の滞在でしたが多く難民からお金を乞われました)経由でドイツ南西部のカイザルスラウタン(Kaiserslautern)につきました。
ドイツ
ドイツは第二次世界大戦の敗戦国であり、今も世界最大の米軍基地駐留国であります。
米軍にとって重要な施設が幾つもあります。
私達が今回行けた基地はRamstein(ラムスタイン空軍)Buchel(ビュッフェルドイツ空軍)Stuttugart(ステュットゥガート米軍アフリカ司令部、ヨーロッパ司令部)の三か所でした。
ラムスタインは沖縄の嘉手納基地のような巨大な基地で滑走路も二本あり、弾薬庫他、全ての機能を兼ね備えた中東爆撃の重要基地で無人爆撃機ドローンもこの基地がなければ機
能しません。
ビュッフェルはドイツ軍の基地ですが、アメリカの核弾頭が200発程度あると云われていて、アメリカの許可が出れば発射可能という事です。
ステュットゥガートはアフリカの全軍事作戦司令部のAfricom(アフリコム)とヨーロッパ全軍事作戦司令部の Eucom(ユウコム)という重要な基地があります。
アメリカ軍は世界を六つの区域に分け其々に司令部を置いています。
ちなみに沖縄を含む東アジアから太平洋の司令部はハワイに置かれています。
ドイツ国内でもオーストリアの増永御上人様のご縁でミュラー夫妻(奥さんが日本人)とのご縁を頂きオーガナイズを手伝って頂きました。
ドイツは“緑の党”の発祥の地のようですが、初日にその創設メンバーの一人に会うことができました。緑の党はドイツ国内で大きな政党になりましたが、2003年アフガニスタン戦争の時にドイツ軍の派兵を承認し、結党当時の理念を失ったと白髪白髭のローランド氏が話されていました。
また、ドイツ国内にからドローンの操作を行いパキスタンに居たドイツ人が殺害された事などから、ドイツの憲法(26条)違反であるとの裁判が国に対して行われているようです。
War Resistance(反戦グループ)の事務所では様々な反戦デモ等をオーガナイズされていて6月10日から12日までPeace Campをするのでどうして沖縄と連携させるかが話し合われました。お互いの現場を訪れたり、情報の共有を進めたり、ビデオでメッセージフィルムを作りお互いに励ましあおう等の案が出ました。
話し合っていた中の若い男性と彼のパートナーが今夏沖縄に来たいと気持ちを起こしてくれました。今夏は台湾でも“島々の連帯を結ぶPeace Camp”が開催されるのでそれと絡めて来沖したいとの事でした。
ベルリンでは反戦カフェでのお話し会になりました。カフェのオーナーの奥さんが日本の方で夫婦ともにこのカフェで頻繁にイベントをされているようでした。
ベルリン在住の日本人も10名近く来てくれました。ここでも色々と建設的な話し合いが行われ、ドイツ在住の日本人がまず動こう、とか。アメリカの独立記念日の7月4日に米軍基地を抱える各国が自国の独立を訴えて行動を起こそうとか、皆それぞれの気持ちを表してくれました。
イギリスからドイツに入り、驚いたのが、ドイツ人の積極性でした。彼らは実に熱心に自分の意見や考えを率直に話します。日本人とドイツ人は真面目で組織的で国民性も似ていると言ったりしますが、彼らの積極性と日本人の非積極性はまさに真逆だと感じました。
ドイツは脱原発や再生可能エネルギーの問題では日本でもよく知られていて進歩的だとされていますが、殊、米軍基地問題に関しては沖縄程の盛り上がりは見せていないように感じました。しかし、反戦平和運動の歴史は古く、もし沖縄とドイツの反米軍基地運動が連帯し動いていけば、米軍が嫌がることは間違いないと思います。特に沖縄側からドイツの運動をもりあげられるような取り組みを行えれば、双方にとってよい結果を引き出すことができるような気が致しました。
ドイツの米軍基地を抱える地域は経済的に米軍依存の傾向が強いという事でしたので、この事の解決が一つ重要だと思いました。
ポーランド
ベルリンからバスで揺られること5~6時間ポーランドに西に位置する古都POZNAN(ポズナン)ミーティングまで時間があったので街を散策しているとこの街の佇まいにイギリス、ドイツとは違った、落ち着いた、静かな雰囲気が漂っていました。紀元1000年頃から建てられているという大聖堂にお参りさせてもらいました。中は暗く、静かで、様々な写真、銅像が各部屋や壁に掛けられていて、観光客でも押し黙ったまま静かに歩いている。写真の前や銅像の前でうつむいて瞑想をしている人も何人かいました。
私には中の重い空気や絵や銅像の荘厳さに何とも言えない心境になりました。
ポーランド最初の話しをする場所はZEMSTAという本屋兼カフェでした。後から知ったのですがこのカフェはアナキスト(無政府主義者)の集まるカフェで、よく見るとどくろマークの絵があちこちにあったり、皆の服装が黒に統一されていたりと、おしゃれなカフェなのだけれども、何か普通のカフェとは違う雰囲気がありました。
話を始めると突然外で物音がしました、すると今まで座っていた人達が一斉に外に飛び出して行きました。聞いてみると、ポーランドでは左翼や無政府主義の人達が何か集まりをすると必ず、右翼の襲撃があるようです。後で外に出てみると、血が付いたティッシュが落ちていました。
ポーランドの歴史を見ると、ポーランドの国は何度も外国からの侵略、占領によって地図上から消えているのです。周りの強国のドイツ、ロシア、オーストリア等の国々によって分割占領されてきました。そういった背景を鑑みるとこの国の人達が自分たちの国を守りたい、それが武力によって奪われ続けてきたのだから、武力を手にするというのはある意味自然なのかもしれない、日本や沖縄等と比較してみるとやはり、日本の国は外からの脅威が歴史的に少なかったゆえに今の国民性が育ち、又、仏教の思想も深く手伝い、武力を嫌う性格が育ってきたのかと思いました。
2015年の10月に右派の「法と正義」が総選挙で大勝し上下両院で過半数を獲得し八年ぶりのポーランド政権交代となった。
政権を取った後、憲法裁判所の自党の支持者で満たした。憲法裁判所は法律の合憲性を判断する場所なので、新政権の政策への違憲判断を出せないようにした。
公共放送や通信社を国有化する法律を作り、テレビ局、ラジオ局のトップを交代させ、政権に批判的だった記者が解雇された。
難民受け入れにも否定的で国境警備を強化している。
もともと共産主義国であったからか、地理的、文化・歴史的な理由や様々な要因があると思いますが、現在はEUの一員ではあるものの関係はぎくしゃくしていたり、東欧という地理的理由でEU側からはロシアに向かい合う最前線の一部でもあるので、大国間に挟まれるポーランドは常に政治的に不安定になってしまうのでしょうか。
米国との関係は
アメリカの秘密軍事刑務所「ブラックサイト」がありCIAがテロ容疑者の収容目的でキューバのグアンタナモ、イラクのアブーグレイブ等の拷問を行ったり、著しい人権侵害が行われるものと同様なものがポーランド国内にある。
アメリカのミサイル防衛構想のMD計画をポーランドが受け入れることで基本合意している。
2018年までに国内に5か所の米軍基地を新設することも合意が成されている。
ワルシャワでは建物を不法占拠して人々が住んでいる所にお世話になりました。
不法占拠をすることになった経緯は第二次世界大戦で住民の多くを失ったワルシャワは建物の所有者も失い、国が管理することになった。
ポーランドが共産主義国だったこともあり、家賃は低く平等であったため人々は誰もが住む場所を持っていました。しかし、1989以降、自由、資本主義の社会政策をとり、建物をはじめ様々なものが民有化され、家賃の高騰に繋がりました。
建物の所有者は住んでいる人達を何とか追い出して、もっとお金になる事業をしたいようですが、古い建物であることから、文化保護等の理由から容易には建物を解体できなかったり、不法占拠をしている人達も金銭的な援助を得ているようで、それでなんとか今まで追い出されずにいられると話していました。
私達が泊まらせてもらった部屋は、最近までチェチェンからの難民が住んでいたとの事でした。
話し合いの中で、どうして反対運動が暴力的にならないのか?とか、どうして日本人は米軍の横暴な振る舞いに対して声を上げないのか?など質問されました。
最後の日、ポーランド南西部に在るオシフィエンチム(アウシュビッツ)強制収容所におまいりに行きました。驚いたのが、入るのに厳しいセキュリティーチェックがあった事でした。過去に何か事件でもあったのかと疑うようなセキュリティーの厳しさでした。
当時ポーランドに居たユダヤ人は百万人がナチスによって殺されたとありました。
この場所がイスラエル人にとって大切な場所であるようで、イスラエルの国旗を掲げた団体を幾つも見受けました。
私達が太鼓を撃って慰霊のお祈りをしていると警備員がすごい勢いで飛んできてNO!NO!NO!と制止されてしまいました。
アウシュビッツ訪問で感じた事ですが、ここには広島・長崎のような平和の発信地という側面を全く感じませんでした。とても重い空気が流れているのですが、たくさん人が次か次と大型バスに乗ってやってきて、ミュージアムが展示するものすごい悲惨なナチスのホロコーストの事実を目の当たりにするのですが、人々がこの事実をどのように消化し、それぞれの平和への行動にどのように転換していくのだろうと、不安を感ぜざるを得ませんでした。それは、お祈りをする場所がないのと、警備員が太鼓を制止したことに表れているように感じました。
3日間のみの滞在でしたが、ポーランドのこれからを心配せずにはいられません。
まとめ
今回のイギリス、ドイツ、ポーランドの沖縄Speaking Tourで感じたことは、やはり沖縄の現在の辺野古新基地反対の運動は世界的に見ても稀有の運動だという事でした。世界最強の米軍基地の門前にテントを張って、連日ゲート前に座り込みをするような民衆の力は今のヨーロッパには無いように見えました。(中南米はそういった意味ですごい)そういった意味で沖縄の“風”がヨーロッパをはじめとする世界の米軍基地を抱え苦しんでいる人々に届くような連絡体制や繋がりを形成していく事が沖縄のみならず、世界から軍事支配の恐怖を無くすのに大きな役割があると思いました。
権力に反対する運動がしばしば暴力を採用することで求心力を失い、泥沼にはまり込んでしまう事例は歴史上多くあります。また暴力革命が成功しても、その後の体制を維持するために武力を採用する事で、終わることのない恨み、憎しみを生み続けてしまい、結局また社会が混乱に陥ってしまう。
又、ドイツの緑の党の様に一度、大きな力を手にしてしまうことで、当初の理念を貫くことができずに妥協、迎合してしまう事例を今のドイツで見ました。
ヨーロッパは国家、宗教、民族間の戦争の歴史が現在でも人間の深層心理に色濃く残っているのだろうという事を感じました。
沖縄の非暴力の運動は持って生き方によっては世界の人々にとって大きな希望の光になるだろうと強く思いました。沖縄の基地問題は沖縄だけの問題ではないという事は、今までも言われてきましたけど、世界の人々に光を与えられるという意味でも沖縄だけの問題であってはいけないと思います。
結局人類は非暴力の力が勝つか、暴力の力が勝つか、常にそのバランスの上を彷徨っていますが、母なる地球が病に侵されているように見えるのも(環境問題)、人間の心が、恐れや、欲望に支配され、母なる地球をただの物質として捉え、人間が便利に快適に生きるために搾取していることに気づくことができない心の境涯が、暴力となり。その暴力が人間同士(戦争、差別、貧困)、動植物(動物実験、絶滅危惧の動植物)そして、母なる地球の地上資源、地下資源(森林伐採、海洋汚染)に対して向けられています。
世界の諸問題の原因を人間の心から起きるものと捉えるとき、非暴力という思想、理念が政治闘争のみでなく、人間の生活の深くまで浸透しないかぎり、真の平和は私達の心の中にも、そして私達が生きる社会にも実現することはないのだと思います。
沖縄の非武の風が世界の人々に届くように、これからも祈り、実践していきましょう。




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